■神母木・山田島領域の空間構成から読む他界観と“死”
風景に“死”を見るという体験の空間的考察■
研究者:石上智貴
高知県香美市に存在する神母木、山田島集落の街並み、田畑、河川や廃屋が生み出す殺伐とした風景。彼らを眺めていると、ものの“死”を連想させられることがある。ここでは、理屈なく心に訴える心象的な風景も含め、幾種もの“死”を感じる風景と度々出会う。集落とその周辺領域を歩いている中、私は次々に“死”と対面する。彼らとの出会いは私の心に充足感にも似た感覚を与えてくれる。
“死”に触れるということは本来、恐怖を伴う経験であるように思われる。現にそのような風景に触れることもあった。しかし、一方で触れ合いの中で温かく包み込まれるような安心感を感じさせてくれるような風景もある。このような感覚は、私個人の情緒的、主観的なものに過ぎないのであろうか。
本研究の目的は、風景に“死”を見るという体験および、その前提となる他界観を、集落の空間構成から読み解くことである。あわせて“死”を感じる風景や、その風景を有する対象領域の存在意義も明らかにしたい。
風景に“死”を見るという体験が個人の感覚に起因することは間違いない。しかしながら、それが集落の空間構成という客観的な観点から読み解けるのであれば、単なる一個人の感覚を超えた共有の感覚となりうるであろう。空間構成から“死”を感じる風景を読み解く理由はそこにある。
また、“死”を感じる風景が、空間構成を支えている他界観に深く関わるのであれば、それは我々日本人の深層心理にも通じることとなる。“死”を感じる風景の読み解きには、奥深い世界を開示する可能性があるのである。






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