project

実施プロジェクト
2016年度

■金峯神社■

高知県香美市土佐山田佐岡大後入、ここに氏子が一人しかいない神社があった。金峯神社というこの神社は大本山を奈良県にもつ蔵王権現を祀る神社である。2017年、金峯神社は倒壊の危機に瀕していた.社殿の覆屋は、基礎・梁が腐り、大きく傾き今にも崩れそうで、拝殿の建具で建物が持っている非常に危険な状態だった。しかし、氏子が一人しかおらずこのままでは放置される一方である。そこで取り残される神社を高知工科大学環境建築デザイン研究室総出で救出するプロジェクトが開始した。

そして完成したのが「分割造替」により新たに造替された金峯神社の「里の拝殿(遥拝殿)」「森の本殿(山車社殿)」である。

 

−もとの金峯神社−

 

 

−金峯神社 里の拝殿(遥拝殿)−

遥拝殿を建設するにあたって、大きく二つの課題が持たされた。
 一つは予算である。遥拝殿は建設費用を非常に安価なものとしなければならなかったため、ホームセンターで購入できる安価なポリカーボネート、単菅に加え、安く仕入れることができる厚板の構成により組み立てる建築となった。
 もう一つは、建設期間が非常に短かったことである。倒壊寸前の金峯神社からのご神体の救出することは時間との勝負である。施工は、早急な竣工を目指し、梅雨期の雨天の中でも作業は敢行され、5日程度で終了した。

防腐剤を塗装

単管で骨組みを作る

厚板で屋根をかけ、ポリカーボネイトで被覆していく

 

 

完成後,遷座を行い、新しい遥拝殿でおよそ10年ぶりに佐岡祭が執り行われた。

 

金峯神社 里の拝殿(遥拝殿)
三角の屋根型は、金峯神社のご神山である御在所山の山形をモチーフとしている。山形による末広がりの形状は、軽い材料を用いたとしても重心が低いため、構造としてもしっかりしている。また、遥拝殿は正面から後ろを透かして見ることができるトンネルのような意匠がほどこされている。これは、遥拝殿を通り抜けて御神木の山へと繋がる軸を意識した形状を表したものである。その軸は、旧社殿でも採用されていた重要な信仰の軸である。情報処理工学研究室による測量によって軸の正確な方位が計測された。

−金峯神社 里の拝殿(遥拝殿) 施工作業員−

渡辺菊眞准教授

石上智貴、大森剛志、上田悠貴、大道直紀 、大野慎、楠本建、平井寿弥、鈴木航平、藤林未於、若林寛和

 

 

−金峯神社遥拝殿賽銭箱−

研究室にてコンペ形式により決定されたもの。M2石上により遥拝殿の性質を踏襲しつつ「最小限の手数」、「建築全体の中での主張の無い立ち位置」、それでも「他とは違う面白み」の3つを指針に設計された。

 

 

−金峯神社 森の本殿(山車社殿)−

金峯神社からご神体を遥拝殿に救出することが出来たが、本殿は重く人力での長距離の移動が困難であった。しかし、ご神体同様本殿の救出は急務である。そこで本殿を救出するため新しい覆屋が設計された。遥拝殿の建つ敷地とは違い、狭く足場が少ない場所で建設は行われた。人力での作業に限定されるため、遥拝殿同様ポリカーボネート、単菅、厚板の構成による建築となった。

滑車を設置

単管を組み上げていく

安全帯を着用しての垂木の設置

 

 

完成後,本殿を移動させた。旧社殿の桁が落ちても崩落寸前ま で耐え続けた「伝説」の建具を山車社殿背面に使用した。

 

金峯神社 森の本殿(山車社殿)
三角の屋根型は、遥拝殿同様金峯神社のご神山である御在所山の山形をモチーフとしている。狭い敷地の中で本殿が入る大きさが考慮された。現場での作業から山車社殿固定用の単管などが形態に活かされている。山車社殿は名の通り移動を前提として設計された。本殿救出後に旧社殿のあった場所へと移るため、山車社殿という名の通り移動を前提として設計された。そのため、下部に8つの滑車が取り付けられている。社地整備後、移動が行われる予定である。

−金峯神社 里の拝殿(遥拝殿) 施工作業員−

渡辺菊眞准教授

上田悠貴、大道直紀 、大野慎、楠本建、鈴木航平、藤林未於、若林寛和、植松梓、西田匠、三島宏太

 

 

 

−授賞−

 

  

WA Awards 23Cycle

 

 

第5回 高知県建築文化賞 高知県知事賞